『働く男』

星野源が倒れる前に書き始めた「働く男」

この本で面白いのが、倒れる前に書いている内容を倒れた後で本人が見返した時に「まるで別人が書いているようだ」と書いているところ。

倒れる前は「働きすぎて死んでも構わない」と書いている。

倒れた後にそれを本人が読んで「まるで何かに取りつかれているようで気持ちが悪い」と述べてる。

 

・・・

 

うーん。

その感覚、どこかで見覚えあるなぁ。

2016年の自分が全く同じ感覚に陥っていた。

2016年6月までは、「このまま死んでもかまわない」と本気で思って目の前のことを全身全霊で取り組んでいた。

でも7月にその呪縛から解放され、体調も崩して入院も経験し、「つい数か月前の自分のことが別人のよう」に思えた。恐ろしいほどに何かに取りつかれていた。笑

 

最近アドラーを勉強しはじめたこともあって、アドラー視点で振り返ると、「承認欲求」の塊だったのかもしれない。決して楽しんではなかった。むしろ死ぬほど苦しかった。毎日ノートに「死にたい。死ぬ気でやる。死んでもやる」と呪いのノートを書いていた。笑 自分の為ではなく、仲間に恩師に認めてもらいたい。という承認欲求の塊だったように思う。

だから決して楽しくはなかった。むしろ苦しかった。でも全力投球していたし無駄だったとは思わないし自分を否定はしたくない。

 

そういう経験を経て、呪縛から解放された今は、決して生ぬるい生活は望んでいなくて、むしろあの頃のように全力ではあるけど、でも幸せであり楽しい。

あのときと何が違うのか。

『働く男』を読んで少しわかった気がした。

 

星野源も倒れてからも今も変わらず忙しい。

でも彼は 今は『働きたくない』と思っている。

死ぬほど働きたいと思っていた彼が今は「働きたくない」と思いながらも、今も働く男でありつづけているし、前と同じスピードで働き、でも前よりも一層楽しんでいるし、輝いている。

 

星野源の気持ちは私にはわからないが、

自分の為に働けているんじゃないかなと思う。

誰かの期待に応えるためではなく、自分自身の幸せの為。

自分自身のやりたいことを追及している。

自分の理想に近づくために全力投球している。

だから楽しい。

 

『働く男』

最初は、「あれ?映画の紹介ばかりだな」と感じたが、

読み終えたときに、「あ、これがホシノゲンなのか」

と思わせてくれる。

そんな本でした。